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活動報告report

   ■ 5月9日のくるま座、及び再審請求についての動き
 この間、デリケートで難しい問題が連続しています。どこまでを、どのように報告すればいいのか良く分かりませんが出来るだけお伝えします。
 再審請求が宮崎地方裁判所に提出されたのが3月24日でした。その後その事をめぐって被害者遺族の方から抗議ともとれる手紙が届きました。オークスとの関わりにも関係する重要な手紙でした。下記にもありますように、原田正治氏にも同行願い事務局が宮崎で会って話し合いました。その場では結論が出せず、持ち帰って、5月9日にくるま座で話し合いました。激論になりましたが、結論としてはどうであれオークスはこれまでどうり被害者と加害者双方の支援を続け、関係を仲介する、ということになりました。その旨をM氏にお伝えし「よろしくお願いします」という返事をいただきました。だいたいのいきさつはご両親にも章寛さんにも伝え、「これまで通り頑張っていく」という返事ももらいました。先は見通せないにしてもなんとかやっていけそうだという矢先に今度は黒原弁護士から連絡がはいり、6月9日までに宮崎地方裁判所に、弁護士、章寛君本人、検察、それぞれに意見書を提出するようにとの通達があった模様です。検察はM氏からの聞き取りもおこなったようです。M氏がどう応えたかは分かりませんが、どうであれ、裁判所が再審についてなんらかの結論を出す時期が近づいているのかもしれません。動きに注目です。オークスの支援活動もいよいよ難しい時期にさしかかって来ていると感じます。



■4月26日、27日 宮崎で被害者家族Mさんと会ってきました。

 4月26日、原田正治氏と一緒に宮崎市へ行きMさんと会ってきました。実は3月から4月にかけてはいろんなことがありました。今回は大きな懸案を解決するためにわざわざ原田さんにもついて来てもらいました。全て書くことは出来ませんが、被害者遺族としてのMさんの今後にとっても我々オークスにとっても、とても大きな節目になるかもしれない話し合いでした。きっかけは3月24日付で再審請求が宮崎地方裁判所に提出され、その事が新聞にも大きく掲載されたことでした。これがMさんにも大きな波紋を及ぼして、心境や状況に迷いや悩みをもたらしました。事と次第によってはオークスとの関係も終わりにしたいという手紙まで送られてきたので私達もどう考えたらいいのか、何がどうなっているのか分からず悩みましたが、とにかく会って話し合うまでは結論はだせないということと、このHPでも詳細は報告せず、待望の再審提出の経緯や関係するみなさんの思いなども報告出来ずに今日までに至っています。4月2日の博多での集会についてもすっとんでしまいました。申し訳ありません。
 今回会ってみて、まず良かったことはMさんの状況が好転していたということ。残っていた借金もすべて返済し、給料もアップしてこれからは貯金をしながら今年中か来年春にはもう一度新しい仕事に就くことを目標にしているようです。顔つきも精悍になって体重は20キロも減量していました。飲んでいる時の様子もリラックスしていて原田さんが同席していたせいか最後まで和やかな雰囲気でした。ただ現在の思いについては迷いや悩みを話してくれました。ある意味無理もないなと感じたというのが、最低限言える率直な感想です。生きているということは、誰にだっていろいろあるし、良くも悪くも人は変わっていくのだと思います。被害者と加害者、それぞれの感情もまた変化しながらそれぞれに成長していくのだと思います。何も結論めいたものはまだ出ていませんが今回の活動報告はここまでしかできません。往復の車中、原田さんといっぱい話ができてとても良かったです。原田さん有難うございました。

■3月24日 第一次再審請求が宮崎地方裁判所に提出されました。

■2月18日 死刑廃止 トークセッション

 2月18日 大分市ソレイユで大分弁護士会主催の映画とトークセッションの集いがありました。午後2時半から6時までという長丁場で前半1時間を「望むのは死刑ですか」(長塚 洋監督)の映画、3時半から黒原弁護士、原田正治さん、長塚監督、それにオークス荒牧というお馴染の顔ぶれで、司会は福岡の弁護士さん岩橋さんが務めました。テーマは被害者と加害者の関係性、そこからどう死刑制度を乗り越えて行くかというものでした。オークスからも奥本さんご夫婦に3男のMさん、さらに四国からわざわざ駆け付けてくださった、とっても熱意バリバリの姉妹(二人は前日から求菩提まできてくれて、地元の民宿で奥本さん達と荒牧まで加えて語り合いました)、マスコミも多数取材参加して約100名の参加者がありました。2,3週間まえからパネラー間ではメールで打ち合わせ的シナリオが廻っていましたが、本番ではかなり脱線しつつも本題をはずすことはなかったようで、おおむね好評でした。(岩橋先生ご苦労様でした)被害者遺族感情については特に原田さんの経験とオークスの現在進行形の話がオーバーラップしながら、議論が深まっていきました。時間の経過の中で人は変わり得るということや、被害者、加害者という抽象的言葉ではなくそれぞれに顔のある人間同士の関係性の中で考えて行くことなどが話され、死刑制度を維持する世論について、最後に長塚さんが『死刑制度賛成でも構わない、それが民主主義だから。でも人を殺すと言う事を被害者遺族のせいにはしないで欲しい』と言う言葉が印象的でした。こういう集会に死刑制度賛成の方がいて被害者遺族の気持ちも含めて率直に語り合ったならどんな話になるのだろうか?などということもチラチラ考えていましたが。
 終了後の懇親会には多くの大分の弁護士さんがいて、その中に熱い思いと深い人間性を感じさせて下さる弁護士さんがいていっぺんでファンになってしまいました。今度是非オークスのくるま座にお呼びしたいと思いました。
 今後もこういう機会がもっとあって、章寛君のこと、事件のこと、死刑制度のことを話す機会があればうれしいのですが・・・。


■ 2月になってからの活動緊急報告 まとめて

 2月7日に事務局荒牧が面会に行きました。1月は個人的事情と宮崎に行ったこともあって、面会に行けなかったことも少し気になっていましたが、当日面会窓口で『本人が、今後一般面会の人とはもう会わない』と言っているのでお引き取り下さい、と言われて大ショックを受けました。帰り道いろんな事を考えて、もしかしたら法務省や拘置所側の意図ではないか、あるいは章寛さんの健康が心身ともに厳しいのではないかと心配にもなりました。その夜奥本家を訪ね、10日の面会で確かめて欲しいとお願いしました。結果的に一番恐れた法務省の意図ではなく、やはり、体調がすぐれなかった、あの日は会う気がしなかっただけということが判明しました。実際13日には被害者遺族Mさんと一緒に面会出来ましたし、その会話は何回も一緒に笑えるような会話でもありました。ただ、時期的なものもあるかもしれませんが、精神的に落ち込みがちな時がけっこうあるようでした。考えてみれば当たり前の話で、章寛君の立場に立った時外に居る我々とは、時間の密度、不安、焦り等比べようもないものでしょうし、我々がそのことをもっと、自覚してやっていかなければならないと、痛切に感じました。Mさんが一緒にそのことも受け止めてくれた事も含めむしろいい経験をさせてもらいました。
 前後しますが、12日にはMさんを迎えて奥本さんご夫婦、オークスのメンバー、新聞記者、原田正治さんなど総勢15名もの交流会になりました。一番のテーマはMさんの就職問題。みんなから迷っているのは分かるが現実を見て、しっかり前に進めと発破をかけられていました。奥本お父さんからも『Mさんは甘いな」と辛口コメントが出て、ある意味とてもよかったです。その日は宮崎毎日の記者がこの事件の再審請求についての記事を書いて発表した日でもありその新聞をMさん含め皆で読みました。記事はいい記事でしたが、この時期にこんな形で発表して大丈夫なんだろうか?と少し心配でもあります。上記の章寛君の状況もふまえ、とにかく再審請求の提出を急いで欲しいと考えています。

 18日には大分市で大分弁護士会主催のシンポジウムがあります。今内容の詰めを関係者の中でメールでやり取り、検討しています。この集会でも被害者と加害者の関係性が最大のテーマになりそうです。福岡からは10名前後参加できそうですし、四国からも何名か参加してくれるそうです。

 とても慌ただしく毎日が過ぎて、あっという間に2月が終わりそうです。




■ 1月31日から2月1日 宮崎訪問

今回の宮崎行きは被害者家族Kさん、Mさん親子に会ってMさんの就職活動を一歩でも前に進めることでした。結論を先に言うと、採用してくれるというところが見つかりました。ある人の紹介で運送業と農業関係の二つの部門を持つ大きな会社です。Mさんが現在の状況を抜け出すためには、クリアーしなければならない課題がいくつかあるのですが、その一つ新しく住むアパート、保証人、お金という問題もそこならすべてクリアー出来るという好条件でした。(相手方の社長さんのご厚意が大です) ただあまりにも話が早く進み過ぎて、Mさん自身に戸惑いと不安があって本人の中に迷いがあります。Mさんとしてはよく考えたいということ、そのために何人かの人に相談したい、ということで2月13日の新聞休刊日を利用して福岡に来てオークスの他のメンバーとも会って話したいということになりました。急遽交流会を企画しています。とにかく4月から自立へ向けてスタート出来るといいのですが・・・。
 お父さんのK さんとは、就職面談の前日の夜3人で一杯飲みながら話し合いました。私が頼むのも変ですが、Mさんの就職の後押し、相談に乗って欲しいとお願いしました。出来ることは限られるかもしれないけど、もちろん応援するという感じと、息子の自立を願っている気持ちは伝わる内容でした。Kさんは章寛君とも一度会ってみたいと仰ってくれているので、それが実現するよう我々も努力してみます。
 訪問中に地元の新聞社の方と会ったり、綾町まで施設見学に行ったり、さらに合間をぬって黒原弁護士と2月18日の大分集会の打ち合わせをしたり、とタイトなスケジュールで正直家に帰りついた時はぐったりというかんじでしたが、収穫はあった、と思いたい、です。


 

■ 2017年 今年も始まりました。宜しくお願いいたします。
  1月13日 第17回くるま座 座談会開催しました。

今年最初のくるま座をやりました。昨日、1月12日に黒原弁護士と奥本さんご夫婦が面会に行って来ていたこともあり、まずは章寛君の様子や、話してきた内容などを報告してくれました。こちらは”今日の章寛さん”コーナーで。続いてオークスの2017年年間計画について話されました。一番重要なこととして再審請求の提出時期と内容について黒原さんから提案ががありました。恩赦の請願との兼ね合いもありますし、ここで明らかにするのは差し控えますが、早急な提出を考えています。年間計画の内容としてさらに重要な課題として被害者遺族の方達との交流、支援。そして日弁連の死刑廃止の動きとの連携について詳しく、具体的に話し合いました。なるべく早い時期に事務局が宮崎を訪れ、Mさんに会いに行く予定です。その他、8月にオークス主催で大きな集会を企画すること、事件と裁判、これまでの歩みを『青空』、『続青空』をベースにして加筆、訂正したものをオークスとして編集、発行する事なども確認されました。参加人数も13名とほぼフルメンバー集まってくれて、かなり活発な意見交換も出来、有意義だったと思います


■ 12月22日 面会に行って来ました。

  年末も押し詰まって来て、もうこの日しかないと思って急遽面会に行って来ました。年末は去年も執行があったのでそれも気になっていました。自分が面会出来れば絶対大丈夫だろうからなんて考えながら、1時間の待ち時間を覚悟して順番を待っていたら、なんと約10分で13番の方って呼ばれてびっくりしました。面会室に入るといつもの笑顔で迎えてくれたので、そこでようやくほっとしました。この日は20分時間がもらえて、めづらしく剣道の話をたっぷりしました。中学生のうちの娘が剣道を始めたことで、地元で剣道を教える先生と新しく知りあったこと。その人の事を章寛君ももちろん知っていること、さらに、なにしろ章寛君と私は共通の経験があって(高校の大きな大会で二人とも5人抜きというのをやったことがあるのです)、得意技はどんな技だったか?いつ3段をとったか、最初の1年間はすり足の練習ばっかりで行きたくなかったとか、時代はずれますが昔話に花がさきました。
 もちろんカレンダーの仕上がり、販売状況、共命鳥の表紙イラストの件など必要な事も話して気がつくとあと1分。宮崎のMさんのことを大急ぎで簡単に伝えて、後は手紙で書くからとお互い言い残して部屋を出ました。
 PS 皆さんからの会費等のおかげで毎月1万円を差し入れています。今月も入れることが出来ました。章寛君からも感謝の手紙をいつも貰っています。


■ 2017年版奥本章寛カレンダー 出来上がりました。販売開始しました

 遅れてしまって気が気でなかった2017年版カレンダーがようやく到着しました。今年も宮崎で製作してくれて集会に併せて黒原弁護士が持って来てくれました。絵の枚数が足りないで困っていると聞いていましたが、結果的には力作揃いで、絵の作風もだいぶ変化しています。黒原さん曰く、「今年のが一番いいね」といいうことです。絵を描くと言うことに関する章寛君の思いが伝わってきます。
 黒原さんや私の面会の時も、いつも絵のこと、印刷の仕上がりについての話しというのが結構多いのですが、今や絵を描く事は、彼が生きている事そのものになっているような気すらします。彼がある人への手紙のなかで、『どんなに閉ざされた環境にいても自由を求めて下さい』と書いていました。その自由とはもちろん心の自由であり、章寛くんにとってはそれが、絵を描く事の中にあるのだろうと思います。罪を償っていく事の一つの形としてこうして、描いた絵をカレンダーにして、それを販売し、被害者遺族へ届けるというのが重要な意味ですが、今はそれを含んで、越えてきているように私には思えます。一人の人間の生きざまとして素晴らしいものがある、といえば大袈裟でしょうか?
  とにかく、我々は彼のおもいを多くの人に届けなければなりません。一人でも多くの人に見てもらえるように、1冊でも多く売れるように頑張ります。一冊1000円というのは心苦しい気もしますが、章寛君の思いを汲んで販売にご協力宜しくお願いいたします。



■12月3日 報告集会 章寛さんの”今”と死刑制度のゆくえ 開催しました。

 小春日和の12月3日、吉冨町フォーユー会館で上記のように題した報告集会を行いました。今回は特別ゲストを迎えてというよりオークスメンバーのそれぞれの思いを出来るだけ伝えたいということで、リレートーク形式にしました。まず荒牧の基調報告は支援の歩みと現在の章寛さんについて。黒原弁護士は日弁連の死刑廃止宣言に至る経緯と、その中で章寛君とオークスの活動の果たした役割。さらに今後の死刑制度の方向について。決して楽観できる状況ではないけれどやはりそこに希望の光を見る思いでした。そこからは原田正治さん、中津の梶原さん(残念ながら当日他の活動と重なっていたということで長文のメッセージをいただきました。共命鳥7号に掲載予定です。)に続いてオークスのメンバー、それに奥本さんご夫婦の7名がそれぞれの思いを語ってくれました。休憩のときと、後半トークの合間には熊本から駆けつけてくれた川口さんが全部で3曲の素敵な唄をうたってくれました。
 みんな何故この事件と支援にかかわるようになったのか、現在どのような思いで活動を続けているのか、とても身近な視点から話してくれました。日頃人前でそんなに話す機会は多くないメンバーの、普通の市民としての発言が会場に来ているみなさんにも身近なものとして伝わったような気がします。死刑制度のことって普通の生活の延長にあるんだなと改めて思いました。
 参加人数は総勢でも40名ほどとこれまでの集会からすると少なくなりました。(発言者として予定した人がやむをえない事情で次々不参加になるということもあって、一時は中止にするかということも頭をよぎりました)結果的には初めて来て下さった方も3分の1程いましたし、東京や、宮崎、福岡から新聞記者さんも来てくれました、事前には地元の毎日と西日本新聞に集会の紹介記事も掲載されました。事件のことを忘れられないように、という狙いは果たせたような気がします。ただ時間と共に状況は厳しくなっているなというのも正直なところですが。

 終了後の交流会は川口さんにたっぷり歌ってもらって、随分得したような、愉しいものでした。今後も宮崎の方とも併せて年に3,4回はこの種の集会企画を持って、事件と章寛さんの事を風化させないこと、死刑制度を少しでも身近な問題として考えてもらい、死刑制度の廃止に向けて貢献していく事などを確認して、それぞれ帰途につきました。

■11月25日 章寛君との面会に行ってきました。

 ここのところ、プライベートで多大な混乱をきたすことがあったのと、黒原弁護士の面会予定がずれずれだったこともあって、荒牧の面会も前回から大分間が空いてしまいました。
 今回はめずらしく11時頃の出発となったので、拘置所に着いたのは1時頃。金曜日の午後で込み具合が多少気がかりでしたが、むしろいつもより早く40分ほどの待ち時間で面会出来ました。出てきた章寛さん、いつもどうりの笑顔でした。「今日は20分です」ということで、まずは寒くなってきたけど大丈夫?という挨拶から。気になっていたカレンダーの絵(枚数が足りないという情報)のこと。共命鳥6号の表紙の絵の事など話しました。表紙の絵は来年の干支を意識しての鳥の絵だったそうです。強そうな方のセキトリは軍鶏だったそうで、全然読みとれなかったことを詫びると苦笑いしてました。そこから今佳境の大相撲の話になり、きせの里に相当期待するけど肝心なところで負けるんだよね、って話してたら、その日は本当に平幕に負けてしまいました、(せっかく横綱を3人ともやっつけて優勝の目もあったのに、見てて私もがっかりしましたが、章寛君が落胆しただろうなと思いました)
 来年作るカレンダーやうちわの絵の話になると目を輝かせて、もう2,3枚はスケッチをはじめていて、1枚は色付けもしていること、来年もし福岡の方でカレンダーを作るのならしっかりデジタルスキャンして?作るようにという注文も承りました。(笑)
 最後に、2月までに編集予定の《青空V(仮題)》冊子へのメッセージを依頼すると快く引き受けてくれました。(気にしすぎかもしれないけど横にいる看守さんをなんとなくお互いに気にして、つっこんでは話しませんでした)
 福岡市の冬は結構寒いし、今年は大雪になるかもしれない。お互い身体に気をつけて、という感じでちょうど時間がきてしまいました。



■10月28日 第16回くるま座開催しました。

 この日は残念ながら黒原弁護士は急用で来れなくなり、面会も11月1日に変更されました。それでも9名の参加があり、今後のことを確認しました。(宮崎から宮崎毎日新聞の記者さんも取材に来てました)一つは12月3日に報告集会を持つこと。場所は吉冨町フォーユー会館。時間は13:30〜16時。内容は現在の章寛さんの様子と死刑制度の動き。オークスの活動等を報告することと、リレートーク方式で関わって来たそれぞれの人たちの思いなどを述べてもらうこと、を基本的内容として了解しあいました。
さらに2月18日には大分で、黒原さん、原田さん、荒牧が報告する集会が予定されていて(大分県弁護士会主催)それまでに青空、続青空に続く第3弾を編集する事を決めました。ここでも広く原稿、メッセージをつのってこの事件の事がより解りやすく、また今後の動きの理解、協力に繋がるものを作ります。
 その他共命鳥の編集方針、12月に予定されている東京での集会の事、再審のことなども話し合いました。後先になりましたが、章寛君のお母さんも参加してくれて前回面会時、章寛君の元気だった様子等も話してくれました。

■10月21日 京都弁護士会館で報告集

 10月21日に京都弁護士会館で弁護士さん達14,5名での報告集会がありました。18:00から20:00頃までの時間でした。福井での日弁連宣言を受けての集会で、多分全員死刑廃止派の方々でした。最初に黒原さんが20分ほど事件の概要、裁判、あるいは刑事弁護について話し、続いて荒牧が支援の経過と現在の被害者、加害者関係について35分ほど報告。それからもう一度黒原さんが、一審裁判員裁判についてと2審での心理鑑定について細かく話しました。。動機の違い、、解明された点、良かった点、まずかった点などについて。質疑応答の時間になると、さすが弁護士さんばかりということもあって、2審までの弁護活動についてかなりつっこんだ質問や意見が黒原さんに集中していました。特に心理鑑定の内容や、精神鑑定との違い、結果として何故それが受け入れられなかったのか等。被害者、加害者関係については質問より内容的にびっくりしたという感じの感想が多かったです。再審についても具体的アドバイスをいただきました。2時間があっという間でしたし、横で聞いていてとても勉強になりました。交流会にも8名残って下さり、ざっくばらんに死刑制度の今後や弁護士業会の裏話などいろいろ聞けて愉しかったです。それにしても黒原さんは今、時の人的だなと実感しました。


■10月14日 福岡拘置所へ

 章寛さんコーナーでも少し触れましたが、新田原基地時代の先輩の方から心温まるメールを頂きました。そのことを章寛さんに伝え、彼からのメッセージを電話で直接先輩の方にも伝える事ができました。(随分時間がかかりましたが)
二人が喜んでくれたことが何よりでした。
 今月は前半やたらとスケジュールがつまっていて面会に行くのが遅くなりました。今日の章寛さんコーナーで報告を試みていますが、デリケートな部分が多くて全然上手く書けません。活動報告と併せて御推察ください。

■10月12日 宇佐市四日市別院で3時間の講演会

浄土真宗大谷派の日豊教区会館というところで、『公開自主学習 死刑制度から問われるもの』というテーマで事件の事、章寛さんの事、オークスのことそしてそこから見えてきたものを話してきました。3時間という長丁場でしたが
みなさん熱心に聞いて下さって、質問や意見もたくさん頂戴しました。ほとんどの方がお寺さんということもあって、死刑制度やいのちのことに造詣が深く、私の方がたくさん教えていただきました。終了後でしたが、私が一息いれているところに歩み寄ってきてくれて、真宗でいうところの『人間の存在は悲しみにある』というようなお話をして下さった方がいて、私にはとても深く印象に残りました。この一年半歎異抄を勉強しているのですが、その会の仲間も数人駆けつけて下さりとても心強く、又オークスの仲間も4人いて凄く話しやすかったです。ちょっとだけ自信がつきました。


■10月11日 緊急くるま座開催

 福井での死刑廃止宣言を受けて、黒原さんを迎えて緊急のくるま座を開催しました。3,4人しか集まれないかなと思っていたら皆さん都合をつけて参加してくれてほぼベストメンバーで熱く語り合いました。何より黒原さんの裏話的報告もあって、死刑廃止という重い課題がぐっと身近に感じられました。オークスは、もとより被害者と加害者の関係性こそ重要であり、具体的課題として取り組んできただけに、今回の決定、それにいたる道筋等含めて今後ますますやらなければという決意をみんなで確認できました。今後の具体的活動方針もいくつか出てきて検討しましたので、このホームページや共命鳥でお知らせします。それにしても、章寛君への支援の在り方、本人の気持ちに本当の意味でどこまで寄り添えているのか?外の社会の動きで我々は一喜一憂していますが、もしかしたらそのことが章寛君の気持ちと乖離していないか、嬉しい事のあった時こそ気をつけなければとなんとなく感じています。


■10月6日、7日福井市で日弁連人権擁護大会傍聴

 日弁連の人権擁護大会が福井市で開催され、2020年までに死刑制度を廃止するという歴史的宣言が採択されました。昨年熱海での夏季合宿に参加させていただいた時は、今回の大会で議題として死刑制度が議題に上げられるかどうか、厳しい状況だったことを考えると、このなりゆきは奇跡的な感があります。議論は白熱し、特に採択の場面では棄権票も多く、過半数は難しいかもと感じました。帰りの電車の時間も気になって、いろんな意味で気をもみましたが、可決されてホッとしました。それにしても被害者遺族の方々の処罰感情を目の当たりにするにつけ、被害者と加害者の関係性が今後ますます重要になると思います。詳しくは黒原弁護士(大活躍でした)の詳しい報告が届く予定ですので楽しみに待っていてください。

■9月28日 宮崎で被害者家族Mさんとお父さんKさんに会ってきました

 Kさんと会うのは2年振り。あの最高裁判決の日に東京で会って以来でした。電話でアポをとってあったのですが、快く了解していただいて、初めて3人同席の会合となりました。というのもMさんが9月26日を節目とすることがあって、今後今の仕事から次の一歩をどう踏み出すか?という時期だったからです。オークスがMさんを支援するといっても福岡と宮崎では物理的に距離があって、なかなか具体的には関わりきれなくて、どうしても一番身近で、信頼できる相談相手が必要と感じてきました。それを考えるとやはりKさんしかいないと考えました。Mさんが仕事の都合で1時間ほど遅れてきたので、まずKさんと二人、近況や、Mさんへの思いなどから聞いて、私達とも連携しながらMさんの自立へ向けて一緒に関わっていくことをお願いしました。もちろん言われなくてもKさんの中にいろんな思いがありながら、息子であるMさんを心配し気遣っていらっしゃるのですが、具体的に出来る事となると限られるし、結局本人次第というところもあります。そんな話をしているところにMさんが遅れて到着。二人も一緒に酒を飲むのは3,4回めくらいということもあり、間接的昔話(Mさんがお母さんから聞いていた話を確認したり)等で話が弾みました。
 親子の、それも離れ離れで暮らしてきた父と子の話を聞きながら、不思議な感覚を覚えました。(なんで私がここでこんな話を聞いているのか)
 Mさんは仕事が忙しいということで、顔つきも精悍になって、(ひげを少したくわえて)引き締まった印象でした。給料が少ないままで生活は相変わらず厳しいということですが、なんとか来年の春には現在の環境を抜け出して自立への道を切り開く覚悟だと言ってました。「早く自立して、家族を持って、孫の顔を見せるから』とお父さんに言っているのが印象的でした。もちろん章寛君の話にもなんだかんだなりましたが、Kさんが『俺も会ってみたい』とぽつんと言ってくれたのがとても嬉しかったです。本当に実現すればすばらしいのですが。Mさんの中には事件についてまだまだ疑問や不可解な点があるということで、(初めて聞いた話もありました) そのことを知りたいと強く思っている事が解りました。だったらなおさら、手紙や面会で章寛君に直接聞いて欲しいとも伝えましたが。(短い面会時間の中では世間話で終わってしまう、とぼやいてました)

 二人とも翌日の仕事があるのに、結局11時半頃まで付き合ってもらいました。なにか結論めいたものが出たわけではありませんが、宮崎まで行って良かったと思えました。有難うございました。


■9月19日 学習会を開催しました。

 9月19日、13時30分から17時まで、みっちり学習会をやりました。別府からわざわざ原田さんにもおいでいただきました。内容は日弁連製作のパンフレットをベースに、死刑廃止に向けての考え方をゆっくり、一つずつ確認しながら,(例えばそれは、冤罪のこと、被害者と加害者の関係、民主主義と基本的人権のこと、諸外国の歴史、現状。等多岐にわたりました。) そしてその道筋のなかでオークスや章寛さんがどのような役割を担えるのか?という事を併せて話し合いました。参加者が全員で10名。先日の博多でのシンポジウムで聞いた話も含め活発な意見交換ができました。特に何故日本では死刑制度が議論にすらならないのか、民主主義的個人の成熟の問題と国家の関係について考えさせられました。後半は原田氏から『加害者の家族もまた大きな被害者』という点が提起され、オ−クスの一番の課題、被害者、加害者問題が焦点になりました。被害者遺族でありながら加害者の家族の背負う重さについての言葉であり、私達はそのことの実際を(少しだけでも)知るものとして皆深く頷く提起でした。
 今後の活動に活かしていきます。
 3時間半があっという間に感じられる充実した学習会でした。


■9月2日くるま座報告から9月8日章寛君面会まで

 2日のくるま座では、いつものように黒原弁護士の面会報告からスタート。今回はたまたま3名の懐かしい方がたから章寛君へのメッセージ、現金の差し入れなどが重なって、その内容をたっぷり時間をかけて章寛君に伝えたそうです。面会室も一般の面会室から専用の部屋(もちろんアクリル板越しではありますが)に変更になって話しやすかったと黒原さんも喜んでいました。後日(9月8日の)面会の折りに章寛君に確認したところ、頂いた現金の差し入れで念願だった動物、植物図鑑等を発注したと喜んでいました。
 それから、この間の日弁連の連続シンポ、福井県での人権擁護大会の持つ意味についてたっぷりレクチャーを受けました。翌日が博多でのシンポジウム。章寛君のお母さんはじめ6名で一台の車に乗りあわせて博多へ向かいました。今回は日頃なかなか顔を合わせ行動を共にすることの少ない新鮮な?顔ぶれでした。博多のシンポジウムは一言で言うと『日弁連の死刑制度廃止へ向けての熱意と意気込みの感じられる』集会でした。福井の人権大会で、きっと宣言が採択されて大きな節目が迎えられると期待が膨らみました。講師陣が先日宮崎で御一緒した石塚先生、以前中津の集会で講演していただいて大変好評だった笹倉先生、それに初めてお聞きした監獄人権センター代表で弁護士の海渡雄一先生等でどなたの報告も示唆に富んでいましたし、用意されていた配布資料も非常に読み応えのあるものでした。(この資料を参加出来なかったメンバーとも共有したくて、9月19日に時間をたっぷり用意して勉強会を急遽開く事にしました) 
 そんな熱気のまだ残る中9月8日に章寛君との面会に行きました。章寛君元気でした!上述したように現金の差し入れのおかげで図鑑も発注出来てますます絵を描くことに燃えていました。それでも請願作業にも力を入れていて時間のやりくりが大変そうです。夏に風邪をひいたのは汗だくで作業をやりすぎたのが原因だったとか。『大変だよね』、というと『あまり環境がいいと、ここに居る意味がないからちょうどいいんです』との答え。これには横で立ち会っている刑務官さんも苦笑していました。こんな場面は初めてだったので、少しびっくりしましたが、章寛君の人がらがここでもしっかり伝わっているような気がして嬉しく思いました。その日も面会時間が15分しかなくて話したい事がたくさん残りましたがそれはまた手紙で伝えることを約束して拘置所を後にしました。

PS 恩赦の請願が却下されたというような通知は入ってないそうです。毎回これだけは忘れず確認しています。

■8月27日 宮崎市での講演会参加報告

 宮崎県弁護士会主催の 「死刑は答えか?」 宮崎家族3人殺害事件を題材に終身刑を考える という講演会に参加して来ました。これは10月上旬に開かれる日弁連の人権大会での三つの大きなテーマの一つで、死刑廃止宣言を日弁連として出せるかどうか、という重要な大会があるのですが、その機運を盛り上げるための全国的な取り組みの一連のシンポジウムだそうです。この後九州では9月3日に福岡でも同様のシンポジウムが予定されています。
さて、当日は奥本夫妻、岸本、福田、荒牧で7時に福岡を出発しました。今回は報告者として荒牧も予定されていたので前もって割り当て時間内に的確に報告できるよう、内容を原稿化していましたので(岸本さんからそうするよう強く促されていました)(笑)
 いつものように、奥本さん(お父さん)に運転してもらい、他の人には用意した原稿を見てもらいながらの出発でした。昼食までにあっちに寄ったり、こっちに寄ったりしながらも13時には会場に無事到着。久しぶりの宮崎でなんとなく愉しい観光気分もありました。(多分、荒牧を除いて)
 講演会は14時から。大きなホールに120人ほどだったので少し寂しい感じもしましたが、取り敢えず予定どうりスタート。挨拶に続いて、黒原さんが、事件の概要、裁判、現在の章寛君、特に仙台の元少年との交流についてを詳しく話しました。続いて荒牧は支援の経過、特に被害者遺族との交流。現在の章寛君。その更生という事を話し、望む方向として終身刑導入を含めた死刑廃止について、の我々としての(一般市民的視点から)希望意見を述べました。途中岸本さんから、急げ急げという合図が2回出て、後半は早口で喋るはめになりましたが、一応時間内でOKという評価をいただきました。(この報告内容は次の共命鳥に2回にわけて掲載しようかなと考えてます。)続いて龍谷大学法務研究科教授で弁護士の石塚伸一さんが死刑制度と終身刑導入の可能性について講演しました。のんびりした語り口調でとても親しみの持てる話し方で、内容としても解りやすいお話でした。終身刑導入は絶対に出来るという断言が心強くもありました。終了予定を30分オーバーして質疑の時間をとってくれたので、会場からの質問にもゆっくり答える事が出来ました。その中で、『終身刑はより残虐ではないか?』という質問にたいして石塚さんが御自身の御子さんが事故で半身不随になられたこと、その経験から『オリンピックで金メダルを獲るようなことを生きることの価値とすることと、生きてそこに居る事、その中でも生きる意味を見出していくこと、そういう違いについて話して下さり(伝えきれませんが)、大変感銘を受けました。私も章寛君の「人生には価値がある。ここに居る僕でもそう思う」という言葉を紹介して、やはり生き抜くことの意味と重要性について、拙い言葉でしたが意見を述べました。会の終了後の懇親会でも石塚さん、黒原さん、地元の弁護士さん、それに被害者遺族Mさんと、我々福岡組でたくさんの意見交流ができました。(後先になりましたが、当日はMさんも会場に来てくれ、最後まで付き合ってくれました)。非常に重要な話も出てきたのですが、それは今度のくるま座で確認が取れたらまたご報告します。駆け足の報告ですみません。
翌日、いつものように亡くなられた3人の方の菩提寺でお参りをしてから帰途につき、14時頃帰りつきました。Mさんも来てくれて、収穫のあった宮崎訪問でした。奥本さん往復の運転御苦労さまでした。

■7月27日 くるま座座談会開催

  7月27日黒原弁護士が福岡拘置所での章寛さんとの面会を終えてからくるま座のために豊前市のオークス事務所に来てくれました。その日はたまたま2名の新聞記者さんも取材にきてくれて(毎日新聞、西日本新聞)奥本さん家族も参加して,全部で15名の集まりになりました。(会員の方の御孫さんまで)
内容はいつものように、最新の章寛さん情報から。とても元気だったということです。うちわと共命鳥もぎりぎり間に合って見せたらしいのですが(差し入れは不許可らしい)、あまり気に行ってもらえなくって、なんと本人からは30点という評価でした。事務局は良くできた自信作と思っていたので、がっくり。レイアウトや色あいなど章寛さんの思いとは随分違っていたようで来年はもっといい物を作りたいと張り切っていたそうです。その情熱と未来への意識は大歓迎なので、こちらもさらに頑張らねばなりません。その後黒原さんから再審の考え方、時期、内容等について説明があり、多分近いうちに提出することになるだろうとの見通しが話されました。会員からも疑問や提案、裁判員裁判についてなど、活発な話し合いになりました。章寛さんへの刑の執行阻止と死刑制度の廃止への方向性など議論が深まり、考えが整理されつつあります。
最後に完成したうちわの配布をみんなで分担しあいました。おかげでなんとか完売出来そうです。

 

■7月16日 長野県真島事件最終報告会に参加しました。

  7月16日、章寛さんの事件とほぼ同時期に発生し、同じく裁判員裁判等も似た時期に進行してきた真島事件の最終報告会が長野市で開かれ、以前からお互いに何とか繋がりを持ちたいと考えていたこともあり、事務局3めいで参加してきました。
 当日は早朝、4時半起きで電車に飛び乗り、長野市に着いたのがおよそ13時でした。連休初日ということもあって大変混雑していて、名古屋からの電車は2時間近く立っての移動でした。(きつかった)
 集会は40名程の参加で、報告者として関わった弁護士さん2名と東京から、あの安田弁護士も駆けつけていました。事件と裁判の経過の報告、(ちなみに、2名が死刑、1名が無期懲役、もう1名が懲役18年です)。複雑で凄惨な事件で理解するのも難儀でしたが、裁判の内容、特に裁判員裁判の問題点。心理鑑定。支援の難しさ。現在的問題等共通する部分も多々ありました。支援の方々のご苦労や、弁護士さん達の努力、裁判というものの不十分性なども重なることが多く、ある意味心が痛みました。安田弁護士からは死刑と言う刑の実際と、再審、恩赦、死刑廃止についての動き等話があり、とても示唆に富んだものでした。私達にも10分の時間をいただけたので大急ぎで報告と連帯の挨拶をしました。集会終了後には交流会、さらに宿泊までお世話になり、貴重なお話しや、温かい歓迎をうけました。今後の大きな課題として、どうやって執行を止めるかということ、少しでも死刑制度の廃止にちかづけるかが話の中心でしたが、こうしてあちこちで頑張っている人たちがいることに何より励まされる思いでした。翌日短時間善光寺を参拝、(宮崎さんは)いろいろと願い事をして帰路につきました。


■6月22日 法人化完了。今考える事 すぐに取り掛かるべき事


 活動を継続発展させ、支援を充実していくためと考えて4月から法人化に取り組み、自主財源確保のための準備をすすめてきました。お陰さまで6月1日づけで正式に一般社団法人オークスとして再スタートをきることができました。 しかし、その多忙さや、煩雑さの中で例えばこの1カ月半章寛さんとの面会や手紙すらストップしてしまいました。かろうじてくるま座座談会を先月27日に行いましたが、その報告もこの活動報告のページを更新出来ず、通信の発行も遅れています。事務局としてこれでは本末転倒になりかねないと猛省しました。これからが本当の意味で正念場と再度思い定めて行動していきます。

 上記のような反省をするきっかけとなったのが、6月16日の石巻3人殺傷事件の判決とその報道映像でした。そこには今回の判決を出した最高裁第1小法廷の裁判官が映し出されていました。忘れもしない、章寛さんの判決を言い渡したあの時のあの人たちの顔がありました。それを見て、そして判決の内容を知ってさらにふつふつと怒りが湧いて来たのですが、同時にあの時あの場所で決意したはずのことが未だに何も出来ていない私達自身の不甲斐なさにも思いを致さないわけにはいきませんでした。
 そして、石巻事件のあの判決文を読んで今何をしなければならいのか、もう一度考えています。幾つかの事を考えていますがそのひとつが、やはり裁判員制度の問題です。今回の石巻の事件は当時18歳だった少年の起こした事件でした。結論として「死刑」でなければならなかったのかどうか、詳細には内容を知らないので何とも言えない面がありますが、少なくとも裁判員裁判で拙速に結論を出すような事例ではないとしか思えません。判決を出した市民の方も大変な苦渋の上の判断だったと思います。そもそも死刑か否かの判断を市民に迫ること自体大きな間違いだと思います。この事件の場合は少年事件です。審理はたったの5回だったと聞いています。少年法の理念はどこへいったのでしょう?最高裁はそうした重大な内容にも触れず、判断の根拠も示さず一審、二審を踏襲してしまいました。章寛さんの時と同じです。こんな形で人の命を奪うことが決められていっていいのでしょうか?なんとかして早く裁判員裁判の問題点を改善しなければいけないだろうし、少なくとも国民的議論になっていかなければならないと思います。 
 今私達に出来るのはこのことを身近なところや、チャンスのある毎に話しあっていくこと、新聞への投書等も含め文章にして広く訴えていくことだと思います。そう言う思いで活動報告にはそぐわないかもしれませんが今回書かせていただきました。私達も声をあげます。この文章を読んで下さった皆さんも是非ご自分の持ち場で声をあげていってください。


■5月5日 Mさんを迎えて交流会、翌6日章寛さんとの面会


 新聞休刊日を利用してMさんの2度目の(福岡に移ってから)面会が実現しました。5日の新聞配達を終えたその足で宮崎から中津まで、到着したのが1時半ころでした。そこから今回の交流会場まで移動。(そこは荒牧の長年住み慣れた自宅だったのですが、事情があって4月に転居。今後オークスの本格的事務所、店舗、工房になる予定です)
 まず、章寛君のお母さんが、たまたま取材のため東京から訪れていたT記者と一緒にMさんに会いに来てくれて(お母さんはその日は夜勤のため夜の交流会には参加できませんでした)、5時ころからいつものオークスメンバーも集まって来て、総勢12名でのバーベキューとなりました。章寛君のお父さんも参加してMさんと久方ぶりの再会。少しぎこちないところもありましたがこうして、被害者遺族、加害者家族が親しく言葉を交わす機会がまた持てた事を嬉しく思いました。早めに帰る人もあれば遅くなってから参加した人もいて、その日は結局12時近くまで、飲みながら、食べながらの愉しい交流の場となりました。翌朝は頑張って7時には起きだして、8時15分ころ博多へ向けて出発。往復の道中で、昨晩みんなの中ではなかなか話せなかった、Mさんの今後への思いや章寛君への思いを聞く事が出来ました。あまり詳しくは書けませんが、これからも支援を続けていって、なんとしてもMさん自身の自立の手助けをしなければ、と思いました。
 章寛君との面会には今回は私も同室し、二人の会話を横で聞かせてもらいました。たった15分であり、口下手な二人でもあり、特に章寛くんは緊張もし、気も使っていて、話はなかなかかみ合わないな、という感じもしましたが、どちらにとってもこうして顔を合わせる事、その事が何より大事なのだろうとも感じました。多分お互いにとって、深いところで相手を必要としている事がきっと感じられていると思うからです。償いに向けても、お互いの人間としての成長のためにも相手がここに存在して、”居る”ということが必要です。その意味でも章寛君を死刑にしてはいけない、と改めて感じました。
 今回はあえて書きますが、 (償おうとしても)”償えない罪”と(赦したくても)”許せない罪”の厚い雲の間にかすかに光を見る思いでした。きっと何がしかの救いが(ずっと先のはるか彼方かもしれませんが)、あるような気がします。
改めて、被害者(遺族)、加害者(家族)双方の立場に寄り添いながら支援していきたいと感じました



■4月22日、二審高裁における心理鑑定を行った臨床心理士の先生にお会いしました。


 4月20日から23日まで久々に上京しました。いくつかの用事を組み合わせて、かなり無理なスケジュールを組みましたが、なんとかそれなりにこなすことが出来ました。そのうちの一つ、今回最も重要と位置付けた臨床心理士Y先生との面談は6時間にもなりました。長時間に及んだのはY先生が気さくなお人柄で、後半は居酒屋に席を移しての愉しい会話にもなったからでした。全体を詳細にお伝えすることは出来ませんがY先生の言葉で印象的だったものとして
『章寛君はあの年齢であまりにも重い荷物を背負うことになってしまった、それが事件をとおしての私の一番の印象でした』という言葉でした。少年事件に数多く関わってこられた経験を踏まえてのご発言です。本人の性格やあの当時の未熟さもありますが、素直に育った朴訥な青年が、慣れない環境、経済苦、特異な人間関係、結婚、子育て、等を一度にたくさん背負いすぎたという事です。そうなっていく要因に彼の成育の中での人間形成の未熟さや性格、環境等が複雑にからむ要素も分析しておられましたが、言い変えると誰にでもあり得るごく日常的な世界の中に深い落とし穴が口をあけている、という風にも私には聞こえました。
 もう一つのキーワードが『学習性無力感』という言葉。最初は小さい経験である失敗やそれに伴う叱責の経験が、短期間の間に繰り返されることで、彼の中で学習された無力感になっていくという過程を指したものでした。そして事件の最終局面に繋がっていくという指摘。事件の要因として心理的背景を理解するうえで貴重なお言葉だったように思います。事件全体を捉え返すためにも章寛さんにも伝え、彼自身の捉え返しの参考にしてもらえたらと感じました。
最後に『私は死刑も必要と考える人間だけど、彼の場合は死刑でなくてもよかったと思います。彼のことは今でも気がかりです。』と仰っていました。




■3月13日 宮崎県佐土原町で亡くなられた3人の方の七回忌法要、Mさんを中心に行われました。

前回Mさんが福岡に来てくれた折り、歓迎会の場のなかで、「実は7回忌の法要をしたいのだが、今回は一人ですることになりそうだ」、という話をしていました。そのことを受けて、それなら奥本さんご夫婦をはじめ、オークスのメンバーも行ける人は是非行って、一緒に供養したいという話になっていました。それと、章寛君からの以前来た手紙にもこの3月に、自己契約作業で貯めたお金とこれまでに書き溜めた写経をお供えしたいという希望を聞いていたので、それも実現したいということになりました。かなり急な話しだったので、行けるのは2,3人かと思っていましたが、当日はご両親もなんとか仕事の都合をつけてもらうことが出来て、総勢8名がお父さんの運転する車で宮崎に向かいました。現地では東京からもわざわざ一人駆け付けてくれて、全員で10名で法用を営むことができました。浄土宗のお寺でいつもと違う感じのお経でしたが、立派な7回忌になって、Mさんがとても喜んでくれました。そいて章寛君からのご仏前もお供え出来ました。ただ残念だったことには、写経した数百枚の綴りは宅下げが間に合わずお供え出来ませんでした
 お寺を後にしてからは、皆で食事をし歓談することも出来ました。Mさんと奥本さん夫婦が一緒に食事をし、話をしているのを見て、なんとなく不思議な感じと、厳粛な空気を感じました。それは固く表現すれば被害者遺族と加害者家族、ほとんど交わることがないであろう両者が今日、亡くなられた3人の方の冥福を祈るという機縁に導かれて、ここにこうして顔を合わせているということの何とも言えない不可思議とでもいうことだったでしょうか?
 福岡に帰りついたのは21時でした。奥本さん往復の運転お疲れさまでした。和代さんお弁当有難うございました。


■座談会 第10回くるま座が「ゆるり」で、黒原さんを迎えて開催されました

議題は、法人化の件とMさんのこと。もちろん章寛さんとの面会時の様子報告もありました。(そちらは今日の章寛さんコーナーで。)
 法人化の件については黒原さんも大賛成ということでした。5月初旬の通常総会で法人の正式発足になるように頑張ろうということでした。ただ、立場上法人とはこれまでどおり一定の距離は保ちたいということでしたが。
 3月13日には宮崎のお寺さんでの法用にこちらから6名参加ということで、その時又Mさんとゆっくり話したいという話題で盛り上がりました。その後オークスの活動の方向性や現状の問題点についても話し合われましたが、若干差しさわりのある部分もあるので、今回は詳細は省きます。ただ、今後のくるま座のなかで事件そのものの掘り下げを毎回1時間、テーマを決めてみんなで積み上げていこうということを決めました。多分それがもう一度貴重な資料になるはずです



■3月6日 臨時総会が開催されオークスを一般社団法人へ移行することと活動        を映像により記録化することが承認されました。

 まず提案理由を当日の資料からご紹介します。

議案説明

一、 オークスの法人化について

提案理由

1、 組織の形の整備の必要性

問題点

・明確な、解りやすい目標(減刑、もしくは一審差し戻し)を失って、支援の熱気がやや冷めてきている

・事務局体制が脆弱  日常的に話し合い、活動を深めていく体制が難しい。議決機関さえ定かでないためみんなの理解が得られにくい。

・財源の先細り 中心になって動ける人材の不足、事務処理、通信、ホームページ等の発行等も遅れ気味

    ・個人的頑張りでは限界がある。 このままではじり貧に陥る可能性

・一方、支援のためにも社会性や普遍性を持つ活動にも取り組む必要(章寛さんの支援という基本は変わらないが、関係するその他の活動、例えば広く人権擁護的な動きや、裁判員裁判、死刑問題で活動するグループ、個人と連携を深めていくということ)

以上のような点を踏まえて

一般社団法人格を取得したい。(概要は別紙)

利点  

・社会的信用が得られやすい。助成金、寄付金等含めて

・形が定まる(定款により、社員(会員)、理事会、事務局、財政報告等の明確化)

・財源を確保し、職員二名体制をめざす。(取り敢えず200万〜300万)

 日常的に一人なのか二人なのかでは全然違う(経験的に)

 その職員の一年間の給与にあたる額を出来るだけ確保し、一年間の活動の中から、次につながる財源の確保を目指す

・体制が整備されることで活動を深め、拡げる事が目指せる。

 

以上のような点が利点としてあげられるが、もちろん法人化しても全てがすぐ解決できるわけではない。形を先に作ることでそれに見合ったものになっていくという手法をとりたい。今のところデメリットは特に考えられない。しいて言えばいやでも継続しなければならなくなるということと、もしかしたら法人税がかかる(7万円?)かもしれないという点か?

 

賛同が得られれば、認可に向けて動き出す。通常総会では、定款等、骨子を決めて提案する。

 

活動の記録化について

 

 パワーポイントの作成

昨年、オークスの活動について話をさせていただく機会が数回あったが、経験の無さもあって、限られた時間の中で要領良く話し、理解を得ることの難しさを痛感した。どうすればもっと共感が得られるか考える中で、今までの活動、事件の内容等を、パワーポイントにまとめておいて、それを流しながら話せば聞く人も解りやすいのでは、、、と考えた。又我々もそれぞれが練習することも出来る。出来れば各人がそれぞれの持ち場でミニ集会的な集まりを持ちこの事件と、オークスの活動について広く、社会に伝えて欲しい。

 

 記録映像の作成

さらに発展的に考え続けるうちに、我々自身が映像で記録しておくこと、もしくはドキュメンタリーとして事件の真実(に近いもの)をまとめることが出来れば、社会的インパクトは非常に大きいと考えた。それは章寛君の再審や、支援要請にも大きな力になると思う。もちろんど素人がゼロから取り組もうとすることで、本当に良いものが出来るかどうか大変怪しいが、日常的にも、映像で今を記録しておくことは公表する、しないにかかわらず重要な意味があると考える。

すでに、ビデオは回しているがそこに映りこむ事や、考え自体に反対の方もおられるかもしれないので、この場でオークスとして取り組むこと自体を協議したい。

 

なお、 公表する、しないは進行や、出来上がったものを見てもらって、改めて検討します

 以上の提案について参加者で協議しました。財源が確保できていない点や、詳細がこれからであることなどやや見切り発車的であることで懸念もありましたが、全員で協力しながら支援活動をより具体的に深め、広めていこうということで1号議案、2号議案ともに承認されました。法人の形態としては一般社団法人をめざします。

なお、参加者、委任状(電話連絡も含む)併せても20名足らずでしたが、これまでの会則ではとりたてて規定等ありませんので、全体として承認いただいたと判断します。
 議事録等出来上がりましたら通信(共命鳥)で再度お知らせします。
基本的にこの1年間の会費納入のある方は引き続き会員として継続していただけるものと考えています。なおこの際
会から脱会されたいという方はお申し出ください。また共命鳥でもお知らせしていますが3月までの1年間会費納入の無い方、連絡等の無い方は脱会希望とみなして、会員名簿からいったん削除させていただきます。あくまでもオークスの実態を整理する必要上のことですので、支援活動等今後ともご協力よろしくお願いいたします。
 明日から出来るだけ早急な法人化手続きの完了、認証を目指し、5月予定の総会で詳細の報告と正式発足を目指します。
 


■ 3月3日 事務局荒牧5回目の面会に行って来ました。

 久しぶりにいいお天気の気持ちのいい日でした。前後の日が休日でない日の午後を狙って行きました。思惑どおり、車も少なく面会人も少なかったです。12時40分に面会待合室に入って、面会を終えて出てきたのが1時50分
。これまでで一番早かったし、面会時間も20分貰えました。多分この形が一番待ち時間が少ないみたいです。待ってる間にジブリのアニメ本3冊を差し入れ(行橋の宮崎さんから)ました。
 面会室に入って来た章寛さんは大分髪が伸びていて、モアっとした感じでしたが、やはり中はまだまだ寒いと言ってました。前回Mさんが訪れてくれたこととても喜んでいました。今彼宛ての手紙を書いているそうです。あまり固くならないように書きたいけど、どうしても謝罪文的になってしまうと言ってましたので、例えば宮崎のNさんに書くみたいにざっくばらん、とはいかなくても出来るだけ素の自分で書けばいいのに、と無理な注文をしてしまいました。
最近奥本家を訪れた時のお父さん、お母さん、お婆ちゃんの様子等を伝え、特にお父さんが産経新聞の若い女性記者さんと楽しそうに話していた事など報告すると、凄く嬉しそうに笑っていました。ここのところ続けて自衛隊員の方からの激励のメール、そしてそのうちの一通は直接の先輩だった方からで、その方の名前を告げると、凄くうれしそうでした。直接手紙が届くといいのですが、それが出来ないので何らかの形で伝えることを約束しています。
 今後も章寛君の書いたものをMさんへの支援にしていくための活動をする。そのためにも章寛君に頑張って絵や文章を書いてくれるよう頼んできました。


■2月14日、15日  被害者遺族Mさんを迎えて交流会を開催し(参加11名)、翌日にはMさんと章寛さんの面会が1年3カ月ぶりに実現しました。

活動報告がずっと遅れてしまいましたが、荒牧の面会実現以来、オークス内部でも章寛さんにも、それから奥本さん家族にもいろんなことがありました。デリケートな部分がたくさんありすぎてどう報告していいのかわからずのびのびになってしまいまいした。報告出来る範囲ですがこの間のことを報告します。

 昨年暮れの章寛さんとの面会実現。とても嬉しいことでした。あれから1月23日には、正式に面会許可が下りたという知らせが章寛さん自身から届きました。面会して、顔を合わせられたということはとても大きなことで、お互いに手紙のやりとりも頻繁になり、その分章寛君の今の心情もよく伝わってきています。そこには福岡に移って以来面会や手紙が極端に減ってしまったことによる、喪失感、後ろ向きな気持ちも綴られていました。ここをどう乗り越えていくか、オークス内部でも話し合いが重ねられています。人の受け止め方や、どの部分を大事にしたいかということには当然違いがありますので、難しい議論にもなりましたが、一番共通する思いとして、やはり章寛さんに深く長く、罪を償うことに向けて、精一杯生きて欲しいということで、みんながそれぞれかもしれないけど、活動していくということを確認しました。もちろんオークスとしての統一した動きは継続しながら。
 具体的には、暮れに奥本さんご両親を囲んでの忘年会、くるま座、さらに年が明けてからも黒原弁護士の面会、荒牧の面会、そして今回の被害者遺族Mさんを迎えての交流会、Mさんと章寛さんの面会実現と続いています。
事務局会議では、いよいよオークスを法人化するという方向(多分一般社団法人からスタートして公益社団法人をめざすということになりそうです)の確認と、活動をより伝わり易い形の記録としてまとめていくことも確認されています。

 2月14日、15日のMさんを迎えての交流会と面会も充実した、意義深いものだったと思います。
上毛町のキャンプ場のログハウスを一棟借りて、11名の参加がありました。別府から原田正治さん、東京からはおなじみのNさんも仕事抜きのプライベートで参加してくださいました。その他、西日本新聞の記者さんをゲストにオークスメンバー7名でMさんを囲みました。Mさんの近況、各自の近況、司法の動き、などいろんな話で盛り上がり、途中には荒牧の下手なギターでみんなで歌ったりと盛りだくさん。最終的に寝たのは翌朝3:00くらいになってしまいました。翌日は7時頃起きるのが精いっぱいで、片づけ等して8時過ぎに福岡拘置所へ向かいました。荒牧の車にMさんと、Nさん、別の車で西日本新聞の記者さん。10:00過ぎに拘置所へ到着し、面会終了後出てきたのは12:00少し前でした。合流後4人で食事をしながら、じっくりMさんから今日の面会の感想や、今の気持ち今後の事などを聞くことができました。本当に結論部分だけの報告になりますが、そこでのMさんの言葉をご紹介すると『久しぶりに会えてお互い嬉しかった。やはり、生きてそこに居て欲しいと感じた。それが今の自分の心の支えにもなっていると感じた』ということでした。言葉だけでは伝えきれないもどかしさがありますが、横で見たり聞いたりしていてとにかく、会って話したということが、今後の二人にとって非常に重要なスタートになった、と強く感じました。
 帰りは荒牧と二人でいろいろ話し、Mさんは昨日からの睡眠不足もあって途中から寝てしまいましたが、最後の言葉として『皆さんといろいろ話せて良かったです』と言って、3月の再開を約束して別れました。


■2016年 1月8日、ご両親が今年最初の面会に行き、1月13日事務局荒牧が福岡に移ってから2度目の面会に行きました。

 2016年が始まりました。すっかり遅くなりましたが、皆さん今年も宜しくお願いいたします。事務局は年末年始の怠惰な生活の影響からなかなか抜け出せず、ぐずぐずしていましたが、ご両親は8日の日に面会に行かれました。元気な様子だったということと、昨年末に荒牧が突然面会に訪れた時の驚きと、喜びを生き生きと語ってくれたそうです。その報告を受けて、というわけでもないのですが、荒牧は13日に面会に行きました。
許可されるのかどうかというのは、いまだはっきりしていませんでしたので今回も一抹の不安を抱えての博多行きでした。待つこと約1時間でしたが、その間注意されることも特になく、ひたすら順番を待ちました。
ただ、待つ間、時間を持て余して、落ち着かなかったのでまず、待合室の様子や、注意書きを丹念に見て回りました。
すると、面会についての注意書きのところに、録音機器や、カメラ、携帯電話等を持ち込まないようにと書いてありましたが、メモ帳、ノート等については何も書いていなかったので、受付窓口で聞いたところ『ノートと筆記用具はいいですよ』ということでした。奥本君のお父さんは何も持ち込まないように言われていたということでしたので、伝えるべき事、聞きたいこと、奥本君が話したことをどう記憶するかと、いろいろ悩んで、それこそメモしていたのでそのままノートが持ちこめて大助かりでした。
 その日は時間も20分あったので、気持ち的にも余裕を持って、ゆっくり話すことが出来ました。章寛君の様子については又、『今日の章寛さん』コーナーで書きますが、私の面会についての情報としては、どうやらまだ、外部交通者としての正式な面会許可にはいたっていないようで、再度章寛君の方からその願いを提出し、それとして、審査がありその後に審査をクリアすれば許可されるという段取りだということでした。差し入れ窓口でも私から章寛君への本の差し入れについて確認を求めましたが、『まだ何も決まっていないので、ここでは答えようがありません』という回答で困惑を感じましたが、取り敢えず今回も面会を許可してくれたことを有難いと受け止めています。1月いっぱいくらいに正式回答がいただきたいものです。小雪まじりの寒い一日でしたが、とにかく会えたことと、必要な事を少しづつでも直接伝えられたことで、気持ち的にはほっこりした気持ちで帰る事が出来ました。章寛君もそうだったら良いのですが。

■1月18日、東京から産経新聞の記者さんが取材にみえました。夜は奥本家で顔合わせ。翌19日はご両親が雪の中面会に行きました。 

■12月25日 福岡拘置所にて荒牧の章寛さんとの面会が実現しました。

私にとっては今年一番のビッグニュースでした。福岡に移送されてから面会が、厳しく制限されている状態が続き、何とか許可してもらえないかと、いろいろ働きかけてきましたが、ようやく認められました。事前に許可が出そうだという情報は不思議なことに?東京から連絡をもらっていたのですが(12月中旬)、章寛さんからも、拘置所からもなんの連絡もないので、ジリジリしながら待っていました。25日は今年のうちなら、ギリギリのタイミングだと思って確証もないまま半分は空振り覚悟で出かけました。
 受付で、面会願いを提出すると2,3分で係官が出てきて『聞いています。少しお待ちください』と言われたので、もしかしたら、と胸がドキドキしてきました。それから待つこと小一時間、その間さらに二人の係官に身分証(運転免許証)の提示を求められ、会話についての注意まで受けました。しかし、『ということは会わせてくれるんだ』と、不安が確証に変わっていきました。呼び出しの受付番号も通り越して、又不安が頭をよぎり始めたころ『17番の方、面会室にお入りください』というアナウンスが流れて、ついに面会室へのドアが開かれた、という次第でした。ドアの向こうはまた長い廊下が続くのかと思っていたら、すぐそこの眼の前が面会室で、『何だ、こんな近くにあったのか!』と感じたのが強く印象に残りました。
 面会時間はきっちり15分で、あっと言う間に終わってしまいましたが、価値ある15分でした。
面会の様子と、章寛さんのことは今日の章寛さんコーナーでご報告します。

 面会終了後も『今日だけ特別です』というようなことは言われなかったので、今後継続して面会出来ると確信しています。(実はちょっとびびって、そのことは確かめずに帰ってしまいました)
 すぐに協力してくれた方、奥本さんのお父さんに『会えた』という報告を電話でし、夕方には奥本家を訪ねお婆ちゃんにも報告しに行きました。お婆ちゃんが涙を流して喜んでくれて最高のクリスマスプレゼントに(私にも)なりました。
 

■12月27日、奥本さん達を囲んで忘年会をやりました。

  この日は急遽決めたこともあって、人数が少ないのでは、と心配してましたが、奥本家のご両親、お婆ちゃん、に加えて章寛さんの弟さん、それに奥さん、さらに嬉しいことに来年春生まれる予定の赤ちゃんまで、来てくれました。
25日に面会が実現した報告もでき、新しい命の誕生間近の報告、弟さんと、お嫁さんの結婚にいたるまでや、二人の覚悟等聞けて、最後にはお婆ちゃんも涙ながらにみんなに感謝の気持ちを話してくれました。笑いあり、涙ありのとっても素敵な、愉しい忘年会になりました。 荒牧が次に章寛さんの面会に行けたら、この時の話を絶対伝えようと思います。

■12月26日、『ゆるり』さん(つくしんぼ保育所隣の建物)で事務局会議おこないました。

 事務局会議といっても3人だけですが、現状の全体的確認をしたうえで、来年以降何処に力を集中して、何をやっていくのか、確認しました。それを踏まえて、1月後半か2月に臨時総会で大胆な提案をしようと考えています。そこで、了解されたら、4月の総会で
正式に決定し、オークスの体制を整えて、真に役に立つ具体的活動に繋げていきたいです。(かなり思わせぶりな表現でスミマセン。)  

■11月26日、東京、一橋大学で裁判員裁判経験者の方2名の特別授業を講聴させてもらいました。夜はフォーラム90の例会を見学させていただきました。

 又も朝一番の列車に乗って、東京へ向かいました。目的地は国立、一橋大学。裁判員経験者で、法務省に『死刑制度の情報開示と、一時執行停止の上申書を、裁判員経験者20名と共に提出した、田口真義さんの紹介で、無理やり特別授業を講聴させてもらいました。田口さんは『裁判員のあたまの中』という本も出版されています。これもまた、裁判員を経験した方たちの意見、感想をインタビューを中心にまとめられた、労作です。
 昨年早稲田大学での集まりの折り、知りあって以来、オークスの活動にも何かと力になってくれています。
約2時間近い講義でしたが、飽きさせず、解り易く裁判員裁判の仕組みと、そこへ我々市民が参加するということがどういうことかを、講義されていました。ただ、今のところ、『知ってもらう』ということに重きを置いて話されているので、私の率直な感想としては、「もっと踏み込んで欲しい」(例えば「死刑という判断を下さなければならない裁判の場合はどうなのか?」とか。)という感じでした。もちろんそれは、私が、死刑の確定している奥本君の支援者であるということが、大きく作用していると思いますが。
 田口さんには、その晩のフォーラム90の例会にも連れて行ってもらい、翌日の大事な会合までご一緒していただきました。(今回の東京行きの一番の目的でした)。田口さん、お忙しい中、本当に有難うございました。


■11月24日、博多で『僕の父は母を殺した』という著書のある大山寛人さんの講演会に原田正治さんと一緒に参加しました。


前日の中津での集会後、交流会を終わって、求菩提に宿泊された原田さん、長塚さんと、荒牧の奥さんと4人で、急遽博多で企画された、大山寛人さんの講演会を聞きに行きました。大山さんは著書のタイトルからも解るように、被害者遺族であり、加害者家族であるという立場の27歳の青年です。そんな立場的なことより普通に考えて、小学生の時にお父さんが、お母さんを・・・ということですから、どんなに大変な人生を生きてきて、今もどんな心境で生きているのか、その苛酷さは想像を絶するものがあると思います。そんな彼が父親に対して『生きて償っていって欲しい』と言えるようになるまでの葛藤が赤裸々に語られていました。私達の事件とも重なる部分も多く、非常に胸をうたれました。
いつか、章寛さんや、Mさんと繋がりが作れて、会って話してもらいたいと思いましたし、大山さんご自身が、そばに信頼のできる人もしくは、"家族”をつくってくれたらな・・・とおもいました。2,3年前に原田さんと一緒にシンポジウムでご一緒したことがあるということで、懐かしそうに話していました。
 『年齢が27歳、"寛"という漢字。誕生日まで非常に近い、事件の起きた日が、同じ3月1にち。原田さん。』 なにかとても深いつながりを予感させる一日でした。


■11月23日、中津市で『いのちの輝きを伝えたい』、集会開かれました。

23日、中津市の教育福祉会館で、『いのちの輝きを伝えたい』と題された集会を開催しました。一連の集会としては4回目、オークス主催では初めての取組でした。参加人数が全体で90名程と、少し淋しい人数でしたが、中身は濃かったように思います。(自画自賛!)
 アフリカの太鼓、唄から始まり(大西さん、有難うございました。ちなみに、大西さんファミリーには終了後、我が家に泊まってもらい、彼自身の経験をいろいろ話してもらいましたが、これがまた、とても衝撃的でした。大西さんを講師にいつか、彼の話を聞きたいと思うくらいに。)熱演のあと、早川さんにバトンタッチ。
 25年以上もケニアのスラムで活動してこられた早川さんの話は非常に衝撃的であり、説得力のあるものでした。一番感じたことは、貧しくても、環境がどんなに苛酷であっても、助け合う仲間がいれば、困難を乗り越えていけるということ。そこには、大きな希望があるということ、だったでしょうか。

 次に原田さんの講演からパネルディスカッションに移っていきましたが、テーマは死刑制度、その時被害者(遺族)と加害者(家族)の関係がどうあるのか、あるべきなのか、社会はどう受け止めていくべきなのか、という方向で話し合われました。その中で、早川さんが、ケニアの犯罪事情を生々しく語り、例えば、強盗犯が訴えられたとすると、2,3日のうちに見つけ出して、問答無用で射殺するのだそうです。(早川さんも、大西さんも実体験があるそうです。)
『それがケニアの実情であり、やり方だ』と警察は言うそうです。あまりにも違う実情に唖然とし、言葉を失いそうでしたが、そこから『では、私達の社会はどこを目指していくのか、大事なことは憎み合うことではなく、あるいは、報復の連鎖にむかうのではなく、許し合い、支え合える社会ではないのか・・・?という話になっていきました。
 原田さんは、加害者と再び出会うまでの葛藤や、自分自身の家族関係の事まで語ってくれた上で、それでも被害者と加害者は向き合って行くべきであり、そこから、許し(とは言えなくとも)に繋がる何かが生まれていく。『死刑』や、報復の連鎖では、何も生まれないと語ってくれました。早川さんの話と相まって、また黒原さんの”世界の、特にアメリカの死刑制度”の話とも重なって、考えさせられるパネルディスカッションになりました。
 最後に章寛さんの今や、オークスの現状、これからを岸本さん、黒原さんにまとめてもらい、恩赦の署名のお願いと、12月上旬には提出の予定であることを伝え、ディスカッションを終了しました。
集会全体の締めくくりには、荒牧のエッセイを、野中さんが朗読して全体を終了しました。

■11月22日、京都での表彰式に日帰りで参加してきました。

朝、一番の電車で京都へ向かいました。約束通り9:30分には大谷大学正門に着き、10時からの報恩講式典と表彰式に臨みました。学生さんも併せて100人くらいの方々が一斉に唱えるお経?は荘厳でした。とても有難い、得難い経験をさせていただきました。その後、東本願寺の方へ移り、しんらん交流館というところで、解放運動推進本部の方3人に紹介していただき、これからの支援や協力をお願いしてきました。そこの一階にあった書籍コーナーであの『教行信証』。鈴木大拙氏の英語版をさらに現代語に訳したという本を買うことができました。私には当分歯がたちそうにありませんが、章寛さんにも勧めて一緒に読み解いていけたらな、と考えています。


■11月19日、章寛さんから共命鳥の表紙用イラストが届きました。
 写真で一足先にご紹介します。


章寛さんのいつもの絵とは、少しタッチの違うイラストですね。章寛さんの今の思いがよく伝わります。

    

■11月14日、『鹿児島県弁護士会主催 シンポジウム「死刑に関わった方がたと〜死刑制度を考える〜」に奥本さんご両親、岸本、常盤、福田、荒牧が参加してきました。

  奥本さんのお父さんの運転で鹿児島まで、5時間半の旅でした。パネリストに袴田秀子さん、弁護士で元裁判官の木谷明氏、作家で元刑務官の坂本敏夫氏、裁判員裁判経験者お二人、それに、我らが黒原弁護士、という、そうそうたる顔ぶれでした。それぞれの方の、視点で『死刑』というものを語っておられました。やんわりとした表現でしたが、どの方のどの角度から言っても、死刑制度には、反対というふうに私には聞こえました。主催の弁護士会としては、シンポジウムを契機に死刑制度について、一緒にかんがえましょう、というスタンスでしたが。


■11月9日、京都の大谷大学が募集していた、『親鸞さんに今、伝えたいこと』エッセイコンテストで、事務局荒牧 が章寛さんへの思いを書いたエッセイが、最優秀賞をいただきました。全文を掲載し、ご紹介します。

 『さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし』、歎異抄十三条にあるあなたの言葉です。

 今、私は一人の死刑囚の支援に関わっています。彼は五年前、妻と義母、そして生後 五ヶ月の我が子の命を奪ってしまいました。二十二歳でした。出身地を中心に6000筆もの減刑嘆願署名が集まる程、素朴で優しい、いつも笑顔の彼だったのに。そして、これも縁でしょうか。彼のことは事件が起こるまで全く知らなかった私が、拘置所にいる彼と面会を重ね、手紙のやり取りをするうちに、必死で罪と向き合う彼の姿にひかれ、彼との繋がりの中であなたに出会いました。 この春、刑が確定して移送された福岡の拘置所の小さな窓から、遠くに桜が見えたそうです。ある人への手紙にそのことが書いてありました。

 『五年振りに桜まで見ることが出来ました。よかった、よかった』と。

 人が生きるということは、どういうことでしょうか。
彼はおのれの犯した取り返しのつかない罪。永遠に失われた三人の命と、自分自身の『死』に向き合うことで、今、深い
いのちを生きているように私には感じられます。現在の心境を問われて、彼の手紙の中にこういう一節もありました。

 『人生は生きるに値する、ということ。価値がある、ということです。うまく言えないけど、ここにいる僕でもそう感じます』
 宿業とも言うべき縁の中で"いのち"を見つめる彼の中に、人が生きるということを問い続けた、あなたを見る思いがしました。彼は刑が執行される最後の瞬間まで生を全うし、 "生きる"ということの実相をきっと見せてくれるはずです。そんな彼に、私も最後まで寄り添おうと思うのです。それがきっと、私自身の生きる意味にもつながると思うからです。

■11月福岡拘置所から章寛さんと、被害者遺族Mさんとの面会および手紙の交     流について許可がおりました。

以前からMさんとの外部交通を希望していた章寛さんの願いがようやく叶いました。
Mさんの意思も確認して(面会したい、手紙のやり取り含め、章寛さんとの交流が必要)、10月に正式にMさんとの外部交通を願い出ていました。実は、それが認められたという第一報はMさんから事務局に電話でもたらされました。
 章寛さんが直接、Mさんにそのことを手紙で報せていたからです。黒原氏はアメリカ出張中であり、ご両親のところにもまだその知らせは入っておらず、事務局としても驚いたのですが、11月6日の黒原弁護士の面会で正式に確認されました。
 今後、まずは手紙での交流が再開されると思われます。章寛さんから現在の気持ちや、謝罪の気持ちを伝えたいという意思が表明されています。Mさんもそのことを望んでいます。面会はすぐに、というわけにはいきませんが、(Mさんの仕事の都合等もあります)今年中には実現できるよう調整中とのことです。
 支援者の集まりの中でそのことが知らされると、期せずして拍手が起こり、歓びが、笑顔が広がりました。
11月23日の集会に向けて、多忙を極めておりますが、その日に向けても弾みのつく嬉しいニュースでした。
今後、その交流が継続されることで、被害者、加害者の双方にとって大事な何かに繋がっていってくれることを望み、
又、暖かく見守り、支えとなっていけるよう会としても頑張っていきます。

■9月10日 共命鳥第2号完成、発送をはじめました。

 今回は笹倉さんの寄稿や、黒原さんの連載も始まって少しは読みごたえがありましたでしょうか?肝心の章寛さんの肉声的な部分がまだまだ少ないですが、挿し絵を含め、充実させていきたいです。
 次号は12月上旬発行予定です。

■9月19日・20日宮崎訪問。Mさんとたっぷり話しこんできました。

 良い天気の土曜日、岸本さん、宮崎さん、私(荒牧)、それに初めての福田さんの4人で、Mさんと会うことを一番の目的に宮崎を訪れました。福田さんは現在の岸本さん達のNPO法人の理事長さんです。
 夕方までは、駅前の居酒屋に行って、Mさん交えて5人で話しました。福田さんもすぐに打ち解けて、おもに女性陣からなんだかんだと質問攻めのMさんでした。今回のみんなの印象は、『Mさんが落ち着いているな』ということでした。
 来年の9月ころに一つの区切りのつくことがあって、その時まではあせらずに放送大学などで学びながら、『じっくりやっていきたい』ということでした。
 男二人は昼間っからではありましたが、ビールや焼酎を飲んで良い気持ちでした。(なにしろMさんは深夜からの新聞配達があるので、夕方までしか飲めないのです。)

 女性たちは、5:30頃の電車で福岡へ帰りましたが、荒牧のみ残って、今度は第2ラウンド。市内へ移って、TBSの西村さん、黒原さん、それにNHK宮崎のKさんまで合流して、10:00過ぎまで飲みながら懇談しました。
 西村さんは、Mさんと話したいということで、わざわざ休みを使ってきてくれました。西村さんは日航機墜落事故の被害者の方々のその後を十数年も追っかけていて、取材を離れてもずっと被害者の方がたに寄り添って来ていたということです。その経験をMさんに伝えてくれると同時に、我々、現在の支える会のMさんへの関わり方、姿勢といったことにも貴重なアドバイスをいただきました。
『事件、事故の後立ち直っていくのに、その人その人のペースがある。支援者は出来ればそのペースを尊重し、より長く、ゆっくり寄り添い続けて欲しい』という言葉が一番印象に残っています。
 NHKのKさんもMさんと徐々に打ち解けている様子でした。最後に合流した黒原さんは現在進行中の別件再審事件のこと、章寛さんの再審の事などなど熱く語っていました。
 最後に章寛さんとMさんの面会をなんとしても実現しよう、そのための具体的方策も練って、お開きになりました。

■9月24日 第6回くるま座 座談会を行いました。

 夜7時半から、いつものように宝寿寺に15、6名が集まりました。この日は前日23日から取材に来ていたNHK宮崎取材班の撮影、インタビュー等もあって、和やかな雰囲気と、緊張がないまぜになった座談会でした。
 議題としては、再審の提出時期のこと、恩赦の請願、Mさんと章寛さんの面会実現へ向けて、さらに前回からの続きとしてMさんへの支援の在り方・・・等もりだくさんでした。(そうそう、夏の日弁連夏季合宿の報告や、11月の集会の事などもありました。)

◎ 再審の請求提出の時期は未定ですが、まず恩赦の請願を11月末締め切り
 12月上旬提出ということを確認しました。
◎ Mさんと章寛さんの面会実現のため、拘置所内から章寛さんが請願をだす。Mさんは親族として拘置所長に面会許可を願い出る。(手紙又は直接行ってみる。
◎ Mさんの支援の方向性は、先日宮崎で話してきたことの報告と併せて、生活支援のための現金支給(章寛さんの描いた絵をポストカードやカレンダーにしたものの売上金から)は頑張って続ける。そして、宮崎で西村さんが言っていたように、Mさんのペースを尊重しながら、出来るだけ息長く寄り添う

ざっとそれらのことを確認しました。
 ここのところ、くるま座も内容が盛りだくさんすぎて、話が単なる会議的なものになってきているような気がします。次回は特にテーマを決めず(レジメは作らず)、本当に気ままな座談会を目指してみたいです。

■8月24日、25日日弁連死刑廃止検討委員会夏季合宿に講師?として参加してきました

 静岡県熱海市で日弁連死刑廃止検討委員会の夏季合宿が開催され、そのプログラムの一環で、多分事例研究的意味合いだと思いますが、黒原弁護士と荒牧セットで一時間の枠を取っていただきました。ここのところ、事件のことを詳しく話していると必ず時間が無くなって忙しいので、今回は黒原さんと荒牧の掛け合い?方式で、出来るだけ現在の章寛君の心境とMさんとの関係性の意味、そしてそこから導かれる、死刑制度の無意味さ、という点に力点を置いて話しました。直前までほとんど打ち合わせが出来なかった割りにはうまく話せたようでした。
 日弁連の合宿のような場所で、我々がこの事件のことを報告させていただけるのは、もちろん黒原さんの力もありますが、被害者と加害者の関係を修復的司法の立場から改善していこう、ということに力を注ぐ関係者の共感を得られているからだと思います。実際プログラムのなかにねじこんでくれて、旅費等まで支払ってもらえるよう計らってくださったのは、あの千葉のY弁護士さんだとお聞きしています。他の日本全国の弁護士さん達も素人の私の話や質問にも快く答えてくれました。
 会議の後、一杯飲みながらの懇談ではさらに貴重な話が伺えました。主には2審で出てきた心理鑑定書についてと、再審請求の意味と時期について。そして今回の合宿の主要テーマはもちろん死刑廃止への日弁連の取り組みですから、その方針や考え方、アメリカの最新の現状等も併せてゆっくり聞くこともできました。(アメリカの現状はまたも笹倉香奈准教授でした。)
 これらのことはくるま座等で報告し、検討しながら今後のオークスの活動に生かしていきたいです。
最後に今回もう一つ嬉しかったこととして、埼玉からわざわざIさんが来てくれたことです。Iさんは報道特集をご覧になってオークスの活動に興味、賛同をよせてくださり、現在は会員として協力いただいている方です。事前に連絡を取り合っての特別参加でしたが私にとってはとても勇気づけていただきました。Iさん有難うございました。
 翌25日は午前中の会議まで参加してから、東京へ廻りました。15:00から衆議院議員会館内であの長塚さんの映画「考え悩む『世論』」と、その時の研究者佐藤舞さんの講演を聞きました。こちらは11月に中津市で上映会を企画しているのでとても参考になりました。それから中野に廻って、安保法制反対の集会「今、戦争を考える」。ゲストが、むのたけじさん(100歳)フォトジャーナリスト広川隆一さん、同じく綿井健陽さん、SEALDSの佐竹美紀さんでした。広川さん、綿井さんは戦争とはどういうものかをパレスチナの現場からの取材中心に生なましく報告し、100歳のむのさん、20代前半であろう佐竹さんからは勇気をもらいました。とてもいい、集会でした。今私たちも動く時だと強く思いました。
これらのスケジュールをくんでくれたのは大島さんでした。中身の濃い1日を有難うございました。

■7月19日の地元支える会との話し合い、継続中(8月20日現在)

  4月にオ−クスが本格始動を始めてから、5カ月が経過しようとしています。この間事務局としては慣れないホームページの更新や、通信の発行、日々の活動とう、それなりに努力してきたつもりでしたが、地元の支える会との連携、コミュニケーションがかなり不足していたせいか、一部の方からオークスの活動が良く分からない、説明出来ない、会計報告が欲しい等々のご指摘を受けました。
感情的には、受け止めがたいとも感じる点がありましたが、双方ともに章寛君を支援していくこと、家族を支えること、被害者遺族との交流も続けて、頑張っていくこと等当然共通する目標があるわけなので、ここは冷静に話し合いを重ね、一つひとつ改善していくことになりました。最初に出来ることとして、次の通信共命鳥で、実質的発足の2014年11月〜2015年3月までの会計報告を掲載することとしました。また、オークスの発足からずっと必死で、駆け足でやってきたため、会則や会員名簿、会計まで、確かに不備な点が多々あります。来年2016年5月頃の総会に向けて、これらの点を整理し、オークスの方向性と併せて御説明できるよう努力していきます。ご迷惑をおかけしておりますが宜しくお願いいたします。

■8月1日 宮崎市 宮日ホールで『死刑事件から私たちが学ぶこと』死刑は答えか・・宮崎家族三人殺害事件から考える私たちの社会のこれからに参加してきました

 奥本さん夫婦と岸本、荒牧の4人で参加しました。全員一泊の予定でしたが、残念ながら岸本さんは別の要件が入ったため急きょ日帰りとなりました。内容はまず宮崎放送さんのドキュメンタリー『窓越しの青空』を30分観てからパネルディスカッションということで、黒原さん、池谷孝司さん(共同通信宮崎支局長)岩橋英世さん(日弁連死刑廃止検討委員会事務局次長)森正行さん(牧師・宮崎希望教会)の四名の方でした。特別講師として原田正治さんも参加され15分程でしたが、やはり、被害者と加害者の出会いこそ大事だという話をされました。それぞれに興味深い話でしたが、結論的にいうと、人は孤立しても、させてもいけない、ということだったでしょうか?池谷さんの著書「死刑でいいです」という本も買って帰って読ませていただきましたが、そこでも孤立ということがテーマになっていたのと、罪を犯した青年が発達障害があったらしいということ、そのことに社会が理解がなかったということが、罪を防ぎきれなかった。そして彼がまさに死刑を望んで執行されてしまったということにやりきれなさを感じました。
 当日は被害者遺族Mさんも会場に来てくれていて、短い時間でしたが会って話をすることができました。また、試みとしてカレンダー等を手作りの額に納めて販売してみましたが、意外と好評でした。又、宮崎在住でこのホームページから会員となってくださった方お二人もわざわざ会場まで来てくれました。有難いことでした。夜は奥本さん夫婦とゆっくり、飲んで、食べてお話をし、そこに原田さんと黒原さんも合流して、遅くまで話すことができました。
それにしてもパネルディスカッションというのは聞く方もよっぽど集中していないと理解し、ついていくのが難しいとつくづく思いました。

■7月,8月そして9月とくるま座やってます。

 申し訳ありません。7月8月とほぼ、2か月間も活動報告をさぼってしまいました。この間もくるま座の活動は継続して行ってきました。特に前回から黒原弁護士が福岡拘置所に章寛君の面会に行ってから、こちらに廻って、会に参加するというスタイルが定着してきましたので充実した座談会が続いています。
話の内容は再審についての考え方が中心ですが、章寛君の近況、死刑制度についての最新情報、被害者家族Mさんについて等など、多岐にわたっていますが充実しています。特に前回、8月19日に吉冨町ゆるりでの会の時は、原田正治氏をお招きし、さらにNHK宮崎のディレクターさん、西日本新聞の記者さんも含めて14,5名の参加がありました。
 再審請求についてはとにかく新証拠につながる資料、考え方、事件そのものの見直し等あらゆる角度からじっくり、検討していくこと、そのために、黒原さんだけに頼り、まかせるのではなく、我々支援者もしっかり考えよう、という方向で検討しています。被害者遺族の方への支援についても現在のままでは不十分。もっと密な交流、支援のためにはどうしたらいいかということと、章寛君もMさんもお互いに面会を望んでいるのだから、それが実現するために、具体的に我々に何が出来るのか次回9月24日のくるま座で引き続き話し合います。原田さんがいて、やはり、二人が会っていくことが一番大事だというアドバイスもいただきました。NHKや西日本新聞の記者さんが参加してくれていたのは、両者ともに今後取材をし、記事なりドキュメンタリーにしていきたいということで、その手始めにくるま座に参加したいということでしたので、お願いしました。以前にみえた日本テレビさんのほうの話は残念ながら今回は見送りということになりました。

■6月30日宮崎の幼馴染Nさんが福岡拘置所まで行ってくれました

事前に連絡をいただいていて、私も一緒に行ってみ宮崎の幼馴染Nさんが福岡拘置所まで行ってくれましたようかと思いましたが、Nさんも駄目もとで行くけどせっかく宮崎からわざわざ行くのに、前回断られた私が一緒に行って二人とも駄目だったら申し訳ない、ということで私は今回は遠慮しました。そして、結果はやはり面会不許可ということでした。以前の連絡では(章寛さんからの手紙情報)Nさんの場合はその時の状況判断で、可能性もあるということだったのでかなり期待していたのですが、残念でした。その面会不許可の連絡をNさんととった直後に我が家に章寛さんからの手紙が届き、その内容も6月に再度願い出た荒牧との面会願いがこれまた不許可だったという知らせでした。ダブルパンチで頭にきますが、中に居る章寛さんの心中を思えば、ここは、私たちが冷静に対処しなければと今は思っています。
策を考えてみます。それと、すぐに章寛さんに手紙を書きます。

〜2015年6月までの報告はこちら→




奥本章寛さんと
被害者家族を支える会

〒828-0083
福岡県豊前市大字岩屋682